top of page

​私たち家族は2013年東京から夫婦で渡米。2016年に男の子を出産、2017年現在の居住地、ボセルへ引越し。2022年に犬を飼い家族は3人と一匹、現在の形態へ至る。

全ての記事が表示されています

更新日:2月20日

先週先々週と、職場の日本人の同僚が娘ちゃんの結婚関連の一時帰国で不在のため代理で出勤となりました。私は普段月火は給食はお休みして別の仕事をしてるんですが、この二週間は給食フル出勤(体力勝負)でした。火曜日の夕方シアトル付近にBomb Cyclone(爆弾低気圧?みたいな?)が上陸するというので、どうせいつものハッタリだろうとタカを括っていたのですが、火曜日の夜7時ごろまんまと停電になりました。夜ご飯も済ませたあとだったので、明日の朝には戻るだろうと継続してタカを括っていたのですが、結局停電は水曜日の深夜まで約30時間ほど続きました。

ree

表では定期的にサイレンがせわしなく鳴っていましたが、停電自体が我が家に与えた影響は特に大したことはなかったのです。停電直後に「はいこれはあなたの」ということでヘッドライトとAnker 521 Portable Power Stationをあてがわれ、スマホ充電も心配することなく快適に息子と毛布の中でぬくぬく過ごしていました(結構寒かった)一度このポータブルパワーステーションでエスプレッソマシンを動かそうとして「ちょっと待て。」と止められましたが、キャンプ用品を引っ張り出して、暗闇の中温かいコーヒーを飲むこともできました。


ree

火曜日の夜に停電が始まって、水木と過ごすうちに徐々に周りの状況がわかってきました。私の職場の学校、息子の小学校の学区は水木と休校になりました。近隣の町の学区は金曜日まで、息子が通う土曜日のシアトル日本語補習校も休校となり地域緊急事態宣言(local emergency)が出たりもしました。電力会社の停電マップを確認すると、停電は金曜日にかけて縮小どころか広がっているようでした。私はその前の週もフル出勤でしたが、思わぬ2日間のお休みとなり、まあ良かったな程度に考えていました。ちなみに火曜日の暴風雨に関しては私の住むあたりはほとんど影響がなかったのです。そんなに風吹いた??と首を傾げるばかりでした。おそらく本当にごく一部のエリアに暴風雨が吹き荒れ、木が倒れた結果これほどの広範囲の停電がもたらされたわけなのです。


ree

金曜日は息子も学校が開き、勤務先の学校も電力が戻り、私も晴れて出勤となりました。私の勤務先の学校は私立の一貫校なので、被害の大きいエリアからもたくさんの生徒や先生が通ってきます。当日のランチの注文数はこれまでで最大となりました。キッチンのボスの自宅もまだ停電から復旧しておらず、ボスはお子さんを連れて出勤していました。キッチンはこれまで数日の停電を経ていたために冷蔵庫、冷凍庫内から大量の廃棄が出ました。ランチの注文数を捌くために対応しましたが、電気がなくて連絡の取れない生徒がまた大勢欠席していたため、ランチ注文数と実際の供給数に大幅な差が出てキッチンは大混乱となりました(汗)

それでも仕事を終え、先生や生徒たちに「停電大丈夫だった?」と声をかけると、「ホテルから登校した」とか「マンションのドアやガレージドアが(電気なので)開かなくて締め出された」などまだまだみんな大変な状況のようでした。しかし、登校している人たちの状況はまだ全然で、登校できなかった生徒や先生たちは、例えば倒木が屋根を破壊したみたいな深刻な状況でもあるようでした。

勤務先の学校には系列校に日本語を含むバイリンガルの学校もあるのですが、その土曜日の日本語学校の先生から、停電で先生が足りないので土曜日手伝いに来て欲しいと連絡が入り、私は土曜日のお手伝いにも駆り出されました。

そんな中、娘ちゃんの結婚関連で日本に帰国中の同僚から、「そっちは大変みたいだね。」というメッセージが来ました。「夫のお母さんが急死して、まだしばらく戻れそうにない」との連絡でした。さらに、勤務先の校長からメールが届きます。「我が校の先生の一人が水曜日に急死しました。お葬式は日曜日です。」



さて、これを書いている今日は月曜日です。息子はこの週末で風邪をひき、今日は学校を休んでいます。

私は土曜日の日本語学校のお手伝いもなんとかこなして、頭の中は今週の木曜日に控えるサンクスギビングです。来客もあります。

私としてはこれほどまでに感謝が意味を持つサンクスギビングは久しぶりです。今回の暴風雨は自らの状況だけを見ると、お気楽な停電祭りと言った感じでした。実際停電中息子は不便なインドアキャンプを楽しみ、電気が戻ってからは学校も休校していたので「退屈だ退屈だ」と文句を言っていました。私が住んでいるエリアは停電はしたものの、道の向こうは停電していない場所もたくさんあり、「シャワー浴びたかったらいつでもきてね」というご近所さんもいて全体的に危機感はなかったです。しかしながら、この数日で甚大な被害を受けた友人もいます。月曜日には言葉を交わした人が亡くなりもしました。ご家族の気持ちを考えると胸がはり裂けそうです。日本でも現在避難中の人がいて、世界では戦争中の国もあります。


当たり前の日常。ことあるごとに思い出しはするけどもやはり当たり前の日常に感謝する気持ちは日々薄れていくものです。薄れていくほど、自分は不自由のない環境に幸せに存在しているんだなあと言う思いを新たにした1週間でした。

更新日:4月14日

犬を飼おうと決めてから、

  • アニマルシェルターから引き取る

  • 子犬を引き取る

ということだけは決めて、日々近所のシェルターをチェックしていました(夫が)。


アメリカではシェルターから引き取るのが一般的(ブリーダーから血統書つきの犬を飼う人ももちろんいます)ということと、6歳の子供がいるので、子供と一緒に犬も体が小さいうちから飼えることや懐くことを考えて、我が家では成長しきった成犬ではなく、なるべく小さい仔犬を引き取るというのを第一希望としました。


PAWS という非営利の動物支援団体が我が家の比較的近くにあり、そこで日々更新される里親探しのWebページで数ヶ月間仔犬が出てこないか探していました。

3月のある日、Konaという生後3ヶ月の黒い仔犬が出たことを発見、次の日朝いちで早速見にいくことにしました。


ree

1、必要な書類に記入して、2、係員から簡単な質問を受けると3、犬と面会。ちょっと広めの運動場のような場所で、家族と犬とが15分くらい遊んだりおやつをあげたり相性を見ます。

ワンワン!と最初は少し吠えたけど、私はすぐに気に入って連れて帰ってもいいんじゃないかと思いました。夫が少し考えたいということだったので、24時間のHOLD状態にしてもらって、一度家に帰って考えることにしました。


とりあえず引き取るという話を家族でランチを食べながらして、24時間を待たずに、PAWSの営業時間ギリギリにKonaを引き取りに行きました。

シェルターから犬を引き取るには数十ドルから数百ドルの支払いがあります。Konaは仔犬だったので500ドルほどの支払いがありました。


Konaは連れ帰る車の中で助手席の私に抱えられブルブルと震えていました。


シェルターでの犬の様子をみるとやっぱりたくさんの人に里親になって欲しいと思いました。シェルターはもちろん清潔に保たれていますが、環境としては犬にとってやはり素晴らしく快適な環境とは言い難い。一匹でも多くの犬が、良い里親に引き取られることを願います。


ホテルのkonaちゃん
ホテルのkonaちゃん

今年の夏はキャンプや旅行にも一緒に行きました。


キャンプのKonaちゃん
キャンプのKonaちゃん


更新日:4月14日

この2年半で当然ながら多くの人生アップデートがありました。

1. 簡単でわかりやすいところでは犬を飼いました。2022年3月からです。

ree

Konaちゃん(本人曰く2020年12月20日生まれだそうです。)


2. Web制作の仕事に加えて、2022年4月から土曜日の私立の日本語学校で働き始めました。

3. コロナ禍で息子が幼稚園を卒園して地元の小学校へ入学しました。(2021年9月からKindergarten、そして2022年9月からは1st Gradeつまり小学1年生)

4. 加えて息子はシアトルの日本語補習校へ入学しました。(2021年4月から幼稚部、そして2022年4月から小学部1年生)補習校と現地校の宿題がえぐい。。。

5. 夫が日本人からアメリカ人に帰化しました。


1000個くらいアップデートがあったかなーと思ったけど、大体この5つでした。

今年は規制も緩和され、夏に多くの日本人家族が日本へ帰国しましたが、我が家は夫が9月に10日ほど日本に帰国したのみで、私と息子は今月でちょうど3年帰っていません。なんだかんだで4年目に突入しました。


日本でも色々あったけど、ほとんどが夢みたいな感じ。オリンピックもほとんど見てない、記憶にないし、帰らないと日本への関心を維持するのが結構大変になってきました。

© 2022 by Nami a.k.a 739 

  • Instagram 非公開なのでFollowリクエストしてね
  • YouTube
  • Facebook
  • Twitter
bottom of page