先週先々週と、職場の日本人の同僚が娘ちゃんの結婚関連の一時帰国で不在のため代理で出勤となりました。私は普段月火は給食はお休みして別の仕事をしてるんですが、この二週間は給食フル出勤(体力勝負)でした。火曜日の夕方シアトル付近にBomb Cyclone(爆弾低気圧?みたいな?)が上陸するというので、どうせいつものハッタリだろうとタカを括っていたのですが、火曜日の夜7時ごろまんまと停電になりました。夜ご飯も済ませたあとだったので、明日の朝には戻るだろうと継続してタカを括っていたのですが、結局停電は水曜日の深夜まで約30時間ほど続きました。
表では定期的にサイレンがせわしなく鳴っていましたが、停電自体が我が家に与えた影響は特に大したことはなかったのです。停電直後に「はいこれはあなたの」ということでヘッドライトとAnker 521 Portable Power Stationをあてがわれ、スマホ充電も心配することなく快適に息子と毛布の中でぬくぬく過ごしていました(結構寒かった)一度このポータブルパワーステーションでエスプレッソマシンを動かそうとして「ちょっと待て。」と止められましたが、キャンプ用品を引っ張り出して、暗闇の中温かいコーヒーを飲むこともできました。
火曜日の夜に停電が始まって、水木と過ごすうちに徐々に周りの状況がわかってきました。私の職場の学校、息子の小学校の学区は水木と休校になりました。近隣の町の学区は金曜日まで、息子が通う土曜日のシアトル日本語補習校も休校となり地域緊急事態宣言(local emergency)が出たりもしました。電力会社の停電マップを確認すると、停電は金曜日にかけて縮小どころか広がっているようでした。私はその前の週もフル出勤でしたが、思わぬ2日間のお休みとなり、まあ良かったな程度に考えていました。ちなみに火曜日の暴風雨に関しては私の住むあたりはほとんど影響がなかったのです。そんなに風吹いた??と首を傾げるばかりでした。おそらく本当にごく一部のエリアに暴風雨が吹き荒れ、木が倒れた結果これほどの広範囲の停電がもたらされたわけなのです。
金曜日は息子も学校が開き、勤務先の学校も電力が戻り、私も晴れて出勤となりました。私の勤務先の学校は私立の一貫校なので、被害の大きいエリアからもたくさんの生徒や先生が通ってきます。当日のランチの注文数はこれまでで最大となりました。キッチンのボスの自宅もまだ停電から復旧しておらず、ボスはお子さんを連れて出勤していました。キッチンはこれまで数日の停電を経ていたために冷蔵庫、冷凍庫内から大量の廃棄が出ました。ランチの注文数を捌くために対応しましたが、電気がなくて連絡の取れない生徒がまた大勢欠席していたため、ランチ注文数と実際の供給数に大幅な差が出てキッチンは大混乱となりました(汗)
それでも仕事を終え、先生や生徒たちに「停電大丈夫だった?」と声をかけると、「ホテルから登校した」とか「マンションのドアやガレージドアが(電気なので)開かなくて締め出された」などまだまだみんな大変な状況のようでした。しかし、登校している人たちの状況はまだ全然で、登校できなかった生徒や先生たちは、例えば倒木が屋根を破壊したみたいな深刻な状況でもあるようでした。
勤務先の学校には系列校に日本語を含むバイリンガルの学校もあるのですが、その土曜日の日本語学校の先生から、停電で先生が足りないので土曜日手伝いに来て欲しいと連絡が入り、私は土曜日のお手伝いにも駆り出されました。
そんな中、娘ちゃんの結婚関連で日本に帰国中の同僚から、「そっちは大変みたいだね。」というメッセージが来ました。「夫のお母さんが急死して、まだしばらく戻れそうにない」との連絡でした。さらに、勤務先の校長からメールが届きます。「我が校の先生の一人が水曜日に急死しました。お葬式は日曜日です。」
さて、これを書いている今日は月曜日です。息子はこの週末で風邪をひき、今日は学校を休んでいます。
私は土曜日の日本語学校のお手伝いもなんとかこなして、頭の中は今週の木曜日に控えるサンクスギビングです。来客もあります。
私としてはこれほどまでに感謝が意味を持つサンクスギビングは久しぶりです。今回の暴風雨は自らの状況だけを見ると、お気楽な停電祭りと言った感じでした。実際停電中息子は不便なインドアキャンプを楽しみ、電気が戻ってからは学校も休校していたので「退屈だ退屈だ」と文句を言っていました。私が住んでいるエリアは停電はしたものの、道の向こうは停電していない場所もたくさんあり、「シャワー浴びたかったらいつでもきてね」というご近所さんもいて全体的に危機感はなかったです。しかしながら、この数日で甚大な被害を受けた友人もいます。月曜日には言葉を交わした人が亡くなりもしました。ご家族の気持ちを考えると胸がはり裂けそうです。日本でも現在避難中の人がいて、世界では戦争中の国もあります。
当たり前の日常。ことあるごとに思い出しはするけどもやはり当たり前の日常に感謝する気持ちは日々薄れていくものです。薄れていくほど、自分は不自由のない環境に幸せに存在しているんだなあと言う思いを新たにした1週間でした。
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